Fill the Ocean with a Single Drop『大海を一滴で埋めよ』|第二十三話『出せないサンプル』
このドラマは、対馬水産による新規プロジェクトをユーモアとリアリティを交えて描くノンフィクション・シリーズです。
――初めての米飯大量生産と、EU・対米HACCP申請の壁に、サンプルを出荷できない日々が続く。
2025年7月31日・対馬水産 会議室にて

【参加者】
営業所:塚口部長、児島(営業)
対馬工場:長谷川(営業・開発)、田中工場長
塚口部長
「Newsweekに掲載されて、国内外100社以上からサンプル依頼が来ている。
百貨店、高級スーパー、航空会社、ハラール市場……世界が待っている。
それなのに、まだ一件も出荷できていない。原因は何だ?」
児島
「魚の品質も、冷凍技術も、タレも仕上がっています。
レンジ加熱後の味も安定しています。
ですが今、私たちは
“米の大量炊飯”と“HACCP再申請”という2つの大きな壁に直面しています。」
長谷川
「私は2週間前から対馬に入って、田中工場長と一緒に
毎日、炊飯と酢合わせの安定化に取り組んでいます。
米の種類、新米・古米、吸水率、気温、湿度……
どれか一つでもズレれば炊き上がりに影響し、
冷却後や電子レンジ後に“柔らかすぎる”“硬すぎる”“酢が効いていない”など、
想像以上に不安定なんです。
まさに、“生き物”と向き合っている感覚です。」
田中工場長
「魚なら、迷いなく捌ける。だが、米の大量生産は初めての領域です。
業務用炊飯器、シャリ混ぜ機、シャリカッターも導入しましたが、
現場のスタッフも慣れておらず、毎日残業続きで疲弊しているのが現状です。」
塚口
「……HACCPの申請は? EUとアメリカ向けは、どこまで進んでいる?」
長谷川
「はい、すでにEU HACCP・対米HACCP・ハラール対応の再申請に向けて、
各国対応の専門コンサルタントが現地入りし、
現場で工程確認・文書設計に取りかかっています。
今回は、“魚の加工場”から“寿司製造工場”への業態転換。
炊飯・酢合わせ・冷却・成形・包装・冷凍まで、
全工程を一から衛生管理フローとして組み直している最中です。」
田中工場長
「正直、ここまで大変になるとは想像していませんでした。
魚ができても、ご飯が炊けなければ寿司にはならない。
それに、海外に出すには“認証”がすべて。
今、私たちは品質と制度の両方で、ゼロからの挑戦をしているんです。」
長谷川
「中途半端では出せない。それが対馬水産の信念です。
魚のプロとして、“寿司のプロ”に進化する覚悟はできています。
サンプルを出すまでは、私は東京には戻りません。」
塚口
(静かに立ち上がりながら)
「……長谷川。田中工場長。
完璧を求めすぎるな。失敗を恐れるな。
とにかく……70点でもいい、サンプルを早急に出荷してくれ。
今は、前に進むしかないんだ。」
田中工場長
「……はい。明日こそ、出せると思います。」
児島(ぽそっと)
「……その“明日こそ”って、毎日言ってませんか?」
一同、思わず笑う。
空気が、少しだけ軽くなった。